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山口地方裁判所 昭和51年(行ウ)10号 判決 1985年3月19日

原告

福光勝

原告

中西悟視

右両名訴訟代理人

山本博

徳住堅治

被告

郵政大臣左藤恵

被告

下関貯金事務センター所長

(旧下関地方貯金局長)

加藤孝明

右両名指定代理人

佐藤拓

外九名

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事   実≪省略≫

理由

一請求原因1(当事者)、2(懲戒処分)の各事実、被告らの主張1(本件ストライキ)の事実は、当事者間に争いがない。

二本件ストライキに至るまでの経緯と実施概況

原告福光が支部長であつたこと、昭和四九年四月九日支部が局第二貯金課事務室において、約二〇〇名の組合員を集めて、午後零時過ぎから春闘総決起集会を行なつたこと、この集会において原告福光が小橋をマイクで紹介したこと、四月一〇日午後三時三七分ころ原告福光は局正門前路上に集まつた支部組合員約二二〇名に対し、決起集会を行なう旨の挨拶をしたこと、昭和五〇年一一月二六日午後五時六分ころ、局構内レク広場で支部組合員約一五〇名の集会が行なわれたこと、同年一二月二日午後五時過ぎ、局構内レク広場において支部組合員約二〇〇名の集会を開いたこと、原告福光がストライキ後の職場での取組みを翌日の決起集会の中で相談する旨述べたこと、原告福光は本件各ストライキに参加して、各日それぞれ八時間勤務を欠いたこと、原告中西は昭和四九年四月当時支部青年部長であり、本件各ストライキに参加し、右各日それぞれ八時間勤務を欠いたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

右争いない事実と、<証拠>を総合すれば以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  昭和四九年春闘

全逓は、昭和四九年二月中央委員会を開催し、賃金の大幅引上げ、ストライキ権奪還等を主要目的とする昭和四九年春闘方針を決定し、ストライキの実施を計画した。これに対し、被告大臣は、文書をもつて、全逓中央執行委員長に対し、ストライキを中止するよう強く申し入れるとともに、万一実施した場合は厳正な措置をもつて臨むことを警告し、さらに、職員に対しても、ストライキに参加することのないよう訓示を行なつた。しかしながら全逓は、同年三月一日、被告大臣の警告を無視して、全一日のストライキを実施し、全国一二五局において職員二三八二人がこれに参加し、欠務し、また、三月二六日には半日のストライキを実施し、全国三七四局において職員四八一六人がこれに参加し、欠務した。全逓は、同月三一日、地方戦術委員長会議を開催し、春闘共闘委及び公労協の統一闘争方針に従つて、四月九日から一三日までの五日間、全国を五グループに編成し、連鎖拠点方式によるストライキを実施することを決定した。これに対し被告大臣は、文書をもつて、全逓中央執行委員長に対し、右ストライキを中止するよう強く申し入れるとともに、万一実施した場合は厳正な措置をもつて臨むことを警告し、さらに、職員に対しても、違法なストライキに参加することのないよう訓示を行なつた。そして、これに基づき、被告局長は、同年四月六日、同月五日付で被告大臣が全逓中央執行委員長に対して交付した四月九日から計画されている違法ストライキを中止するようにとの申入書及び同日付けの職員に対する違法ストライキに参加することのないようにとの訓示を同局掲示板に大書して掲出した。しかしながら、全逓中央本部は、同年四月六日、被告大臣の警告を無視して、指令第五一号を、次いで四月八日、指令第五二号を発出し、ストライキ突入を指令した。こうして全逓は、春闘共闘委の第四次統一行動及び公労協の第三波統一ストライキに参加して、四月九日から一三日まで、全国四二一二局においてストライキを実施し、職員八万一一四七人がこれに参加し、欠務した。

ところで、支部は、同年四月八日早朝、「オハヨウ下貯」のビラを出勤して来る組合員に配布し、支部が四月一〇日にストライキを実施することを周知した。

これを知つた被告局長は、支部幹部に対し、右ストライキの中止を申し入れるとともに、万一ストライキが実施された場合、暴力行為等不測の事態を起こすことのないよう警告を行なつた。つづいて局管理課長の植野は、支部恵川副支部長ら幹部三名に対し、右ストライキの中止を申し入れるとともに、当日の休暇の取扱いについては社会通念上真にやむを得ないものを除き一切付与しない旨通告した。さらに、被告局長は、局内放送により、違法なストライキに参加しないよう、参加した場合は厳正な処置をもつて臨まざるを得ない旨職員に対し訓示を行なうとともに、各課長を通じて、四月一〇日勤務をすることになつている所属職員一人ひとりについて当日の就労意思の有無を尋ね、就労しない旨等答えた者に対しては、それぞれ、四月一〇日所定の時刻までに出勤するよう命じた。しかしながら支部では同日夕刻、支部組合事務室に役員ら約三〇名を集め集会を行なつたのち、ストライキ不参加と目される組合員の家庭を訪問し、ストライキ参加への説得を行なつた。同月九日休憩時間中、支部は、闘争の最高指導責任者として派遣された全逓中国地方本部(以下「中国地本」という)小橋委員長出席のもとに、無許可で、局第二貯金課事務室に組合員約二〇〇名を集め集会を行なつた。同日昼過ぎころ、小橋、山口地区山村執行委員、原告福光ら五名が、被告局長に面会を求め、小橋は支部をスト拠点に指定し、支部の支部執行権を停止する旨発言した。翌一〇日のストライキ当日、午前六時過ぎころ、支部役員らは組合事務室に集まり、その後「スト決行中」の立看板や支部青年部旗を局正門附近に掲出した。午前七時半ころには支部役員ら約二六名が正門附近に集まり、原告福光らは組合宣伝カーマイクで局内に保護している三名に対し、ストライキ参加を呼び掛け、あるいは原告中西が音頭をとつてスクラムを組んで全逓歌を歌う等し、「裏切り者を許すな」等のシュプレヒコールを行ない、さらに、出勤する職員に対し、ストライキ参加を呼び掛けた。また、支部は、同日午前一〇時過ぎ、正門に立てかけたスト決行中の看板に、「四・一〇スト脱落者」と題するストライキ不参加者一二名の氏名を記入したチラシを貼りつけた。一方午前一〇時過ぎころから午後三時ころまでの間、下関婦人会館において集会を開催し、当日の欠務者を参加させた。午後三時半ごろには下関婦人会館で集会を終えた組合員約二二〇名を同局正門前路上に集め、原告福光は、四・一〇ストライキ団結集会を行なう旨挨拶したあと、当局に対し抗議する旨を告げ、局舎に向つてシュプレヒコールをする等した。午後四時ごろ、植野は、原告福光ら幹部に対し、中央確認の趣旨に則り、就労者個人に対するいやがらせはしないよう求めたところ、支部は、これは組合内部の問題であり、干渉される余地はない旨主張した。支部は、ストライキの翌四月一一日以降約一週間にわたり、局管理者らの再三の制止にかかわらず局舎内において休憩、休息時間を利用し、連日のようにストライキ不参加者の回りに集つて、ストライキ不参加に対する批判、誹謗等のいやがらせを行なつた。また、四月一八日から四月二五日の間、退庁時には同局正門・裏門に約二、三〇名の支部役員等が集まり、ストライキ不参加者に対し、「裏切り者は帰れ」等のシュプレヒコールを行なつた。

2  昭和五〇年春闘

全逓は、昭和五〇年二月中央委員会を開催し、賃金の大幅引上げ、スト権奪還等主要目標とする昭和五〇年春闘方針を決定し、また、同年四月の全国地方戦術委員長会議においてストライキの実施を決定した。これに対し、被告大臣は、文書をもつて、全逓中央執行委員長に右ストライキを中止するよう強く申し入れるとともに、万一実施した場合は厳正な措置をもつて臨むことを警告し、さらに、職員に対しても、右ストライキに参加することのないよう訓示を行なつた。しかしながら全逓中央本部は、同月六日、被告大臣の警告を無視して、指令第五二号を発出し、「別記で指定する各職場は、すでに明らかにしている戦術実施要綱に基づき、五月七日始業時から、五月一〇日の勤務者の勤務終了時まで波状連続ストライキに突入せよ。」と指令した。こうして全逓は、春闘共闘委及び公労協の統一行動に参加して、五月七日から一〇日まで、全国二六一八局においてストライキを実施し、職員四万九七六四人がこれに参加し、欠務した。

一方、支部はスト一票投票を実施し、また、組合員の家庭訪問を実施し、ストライキに同調しない者に対する説得を行ない、さらに休憩時間に各職場ごとに分会集会を行ない、スト参加の必要性を訴えた。同年四月三〇日、支部は局第二貯金課事務室において集会を行ない、今次五月段階で当支部もストに突入せざるを得ない状況にあり、各分会でスト不参加が見込まれる者に対し積極的な働きかけを行なう趣旨の説明をした。同年五月一日、支部は、組合事務室において支部執行委員会を開催し、また、翌二日、局掲示板に、「要求貫徹五月決戦スト五・七完全打抜き」の掲示を行ない、休憩時間、講堂には、支部役員らを集めた。午後二時過ぎころ、被告局長は局内放送を通じ、職員に対し、違法なストライキに参加することのないよう自重されたい旨訓示を行なうとともに、役職者を講堂に集め、「自分のおかれている立場と職制としてどのようにあるべきかを十分自覚し、違法なストライキに参加することのないように」と重ねて訓示を行なつた。そして、原告福光ら三役に対し、五月七日のストライキの拠点を返上するよう申し入れたが、これに対し、原告福光は、「われわれの要求が全面的にかなえられるならばいつでも止める、現段階ではストをやらざるを得ない」と答えた。同局長はさらに各課長を通じて五月七日勤務することになつている所属職員一人ひとりについて就労意思の有無を尋ね、就労しない旨等答えた者に対しては、それぞれ、五月七日所定の時刻までに出勤するよう命じた。しかしながら、支部は、「日刊下貯」のビラを組合員に配布し、支部が五月七日にストライキを実施すること及び脱落に対しては予想できないことも起こりうる旨を周知した。そこで、同日、同局長は、被告大臣が全逓中央執行委員長に対し交付した、五月七日からの連日にわたつて計画されている違法ストライキを中止するよう、万一実施した場合は厳正な措置をもつて臨む旨の警告書及び職員に対する違法なストライキに参加することのないよう自重されたい旨の訓示を局掲示板に大書して掲出した。支部は、ストライキ参加が危ぶまれる組合員に対し家庭訪問を実施し、ストライキ参加への説得を行ない、一方、同局長は、五月六日、原告福光に対し、本日以降今次ストライキ終了時まで、全逓に対する便宜供与は打ち切る旨通告した。山口地区佐々木副委員長は、午前一〇時過ぎころから、ストライキ不参加を表明している職員に対し、ストライキへの参加説得を行なつた。同日午後、支部は、局掲示板に「突入指令出る、九六時間ストを出発す、下貯・小郡…七日拠点局(九)」の掲示を行ない、ストライキ実施を周知し、勤務終了後、集会を行なつた。一方、右掲示の後、中国地本浅田書記長、山口地区佐々木副委員長及び原告福光が、局長に面会を申し入れ、ストライキの拠点通告と支部執行権の停止の通告を行ない、また、ストライキ不参加表明の者に対し、夕刻からも支部による説得行動が行なわれた。ストライキ当日である五月七日早朝、支部は、「スト決行中全逓下関貯金支部」と書いた立看板を正門及び裏門門柱に立てかけたほか、全逓旗を正門附近に立て、正門附近に集まつた支部執行委員ら約四〇名が、出勤して来る職員を取り囲んで、ストライキへの参加を呼び掛け、あるいは罵声を浴びせる等した。また、局掲示板に、「またもスト破り」と題してストライキ不参加六名の氏名を掲示し、退庁時には局正門附近に支部組合員ら約四〇名が集まり、退庁するストライキ不参加の職員に対し、「裏切り者」、「卑怯者」等の罵声を浴びせた。

3  昭和五〇年秋期年末闘争

全逓は、昭和五〇年一〇月中央委員会を開催し、ストライキ権奪還の決着と過去の処分による実損の回復等を主要目標とする昭和五〇年秋期年末闘争方針を決定し、スト権問題をすべてに優先して闘うこととし、同年一一月二二日、公労協が同月二六日からのストライキ突入指令を発出したことを受けて指令第二〇号を発出し、スト権の決着をつけるまで闘い抜くとして、一一月二六日から一局所四八時間地区別拠点波状ストライキに突入することを指令した。これに対して、被告大臣は、文書をもつて、全逓中央執行委員長に、右ストライキを中止するよう強く申し入れるとともに、万一実施した場合は厳正な措置をもつて臨むことを警告し、さらに、職員に対しても、ストライキに参加することのないよう訓示を行なつた。しかしながら、全逓は、右警告を無視して、一一月二六日から一二月三日まで、全国延二四八二四局所においてストライキを実施し、職員延三三万二〇七九人がこれに参加し、欠務した。

一方、支部は、同年一〇月二三日早朝、局レク広場に支部組合員約二五〇名を集めて、スト権奪還に向けての情勢報告、スト一票投票の取組み等を説明したのち、「スト権奪還、団結ガンバロー」のシュプレヒコールを行なつた。一〇月二九日、支部は、休憩時間中に局第二貯金課事務室に組合員約二五〇名を集め、原告福光らがスト権中央討論集会の状況報告、スト権スト実施の必要性、業務規制闘争の突入等について説明あるいは周知を行なつた。また、勤務時間終了後、局役職者と山口地区浜西委員長との対話を実施した。一〇月三一日、被告局長は、原告福光ら三役に対し、一一月一日からの業務規制闘争はしないよう自重を求め、これに対しては厳正な態度で臨む旨警告した。一一月一日、支部は、正門横に全逓旗を掲出するとともに、役員らは赤腕章を着用した。同月四日、支部がスト一票投票を実施する動きが察知されたので、当局は、全職員に対し、良識ある行動をとるよう自重を促したにもかかわらず、支部は休憩時間にスト一票投票を実施した。被告局長は、同月一一日、被告大臣から全逓中央執行委員長に対する一三日からの違法ストライキの中止申入れ及び職員に対する違法ストライキに参加することのないようにとの訓示を局掲示板に掲出するとともに、支部に対し中止を申し入れた。同月一九日、支部は、休憩時間に各分会ごとに職場委員会を開催し、二六日からのスト権ストに備え、組合員の住所、電話番号、連絡方法、スト参加、不参加の区別を調査させることにした。また、同月二一日休憩時間中、役員約五〇名を同局講堂に集めた。同日勤務終了後、スト参加について態度を保留等している係長ら約二〇名を集め、支部長ら三役との対話を実施し、スト権ストの実施にあたつては全員ストに参加するよう説得を行ない、二三、二四日の両日はそのため家庭訪問をした。

被告局長は、同月二三日、被告大臣から全逓中央執行委員長に対する右ストライキの中止申入れ、及び職員に対するストライキに参加することのないようにとの訓示を局掲示板に大書して掲出した。一方、支部は、同月二五日早朝、出勤して来る組合員に「おはよう下貯」のビラを配布し、支部が同月二七、二八の両日四八時間ストライキに突入することを周知した。被告局長は、勤務時間開始と同時に、支部に対し、別途指示するまでの間、全逓に対する一切の便宜供与を打ち切る旨通告し、また、局内放送を通じ、違法なストライキには絶対参加しないようにとの職員訓示を行なうとともに、役職者を会議室に集め、ストライキに対して勇気ある行動をとるよう切望する旨の訓示を行ない、続いて、各課長を通じ、同月二七、二八日に勤務をすることになつている所属職員一人ひとりに就労意思を尋ね、就労しない旨等答えた者に対しては、それぞれ、右両日所定の時刻までに出勤するよう命じた。そこで、支部は、組合事務室に役員らを集め、拡大執行委員会を開催し、また、翌二六日早朝、出勤して来る組合員に「おはよう下貯」ビラを配布し、「スト指令発出、退庁時スト確認集会を行なう」旨周知し、休憩時間には全組合員に「生きる権利だ、スト権奪還、全逓」と書いたリボンを配布し、着用を求めた。午後一時半ころ、山口地区浜西委員長、原告福光ら五名は、局長に面会を求め、ストライキの拠点通告と支部の執行権の停止を通告した。一方、被告局長は、原告福光ら三役にストライキの中止を申し入れたが、組合側はスト権問題が決着しない場合はスト実施もやむを得ないとしてこれを拒絶した。そして、支部は、午後五時過ぎから同局レク広場に組合員約一五〇名を集めて無許可の集会を実施し、局管理者の解散命令にもかかわらず、原告福光らは、ストライキ実施及びその具体的実施方法等を周知、説明し、最後に「スト権奪還、一〇〇パーセント貫徹、団結ガンバロー」を三唱した。同月二七日ストライキ当日の出勤時間帯に、支部役員ら約三〇名は局正門附近に集結し、入局就労しようとする職員に対し、就労を断念するよう説得を行ない、あるいは罵声を浴びせた。また、退庁時にも局正門附近に支部役員ら約三五名が集結し、退庁する職員に「スト破り」等の罵声を浴びせた。ストライキ二日目の一一月二八日の出勤時間帯に、支部役員ら約二〇名が局正門附近に集まり、出勤する職員にストライキ参加を呼び掛け、罵声を浴びせた。午後一時ころ、支部は、局掲示板にストライキの状況、ストライキ不参加者誹謗の文言等を書いた掲示を行なつた。また、退庁時にも、支部役員ら一七名が局正門附近に集結し、退庁する職員に罵声を浴びせた。同年一二月一日、山口県労評役員、山口地区委員長ら四名が、原告福光ら幹部三名とともに局事務室を訪れたが、局管理者は退去命令を発し、さらに支部役員らに対し就労命令を発した。そして、被告局長は、局会議室に課長代理、係長ら一五名を集め、同月三、四日のストライキは国民生活に重大な危機を及ぼすことになる、役職者は全員揃つて就労されたい旨訓示を行ない、ひき続き主査、次席等四五名に対し前記同様の訓示を行なうとともに、各課長を通じてストライキ当日出勤することになつている職員一人ひとりについて就労意思の有無を尋ね、就労しない旨等答えた者に対しては、それぞれ就労を命じた。翌二日、被告局長は支部に対し、三、四日に予定されているストライキの中止を申し入れ、被告大臣から全逓中央執行委員長に対するストライキの即刻中止の申入書を大書して局掲示板に掲示した。しかしながら、支部は、局レク広場に組合員約二〇〇名を集めて無許可の集会を開催し、原告福光が翌日からのストライキ後の取組みについて説明を行ない、その後、支部役員らにより、ストライキ不参加者への長時間の説得活動が行なわれた。翌三日のストライキ当日、早朝から局正門前附近に支部役員ら約四〇名が集結し、出勤する職員にストライキ参加への説得を行ない、さらに、午後五時過ぎころ、支部役員ら六名が局正門附近に集まり、退庁する職員に対し、今回のスト不参加についてどう思うか等話しかけた。なお、二日目のストライキは、中央において一定の整理がついたとして、中止された。

本件ストライキが業務及び社会に及ぼした影響

<証拠>によれば、地方貯金局は全国に二八ケ所設置され、郵便貯金、郵便為替、郵便振替、年金、恩給、国庫金等の業務を行ない、貯蓄、送金等国民生活と直接かつ密接な関係を持つていること、地方貯金局は貯金原簿を作成、保管するが、一ケ所の地方貯金局の業務が停滞すると、例えば預入報告書や支払報告書の作成ができなくなり、ひいては全国どこでも出し入れすることができなくなつたり、仮に他の地方貯金局に業務を手伝わせるとしても、事務が遅れてしまい、国民に迷惑がかかること、現に本件ストライキにおいて、下関地方貯金局も特に急を要するものは管理者やストライキ不参加者によつて処理にあたつたものの、それでも通常の業務量を処理できず、ストライキ中止後事後処理に努めたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

三本件ストライキの評価

ところで、本件懲戒処分が公労法一七条一項を適用してなされたものであることは前記のとおりであるが、原告らは、同条項が憲法二八条に違反し、また、本件懲戒処分は、同条項で保障された正当な組合活動に対してなされた違法なものであるから、取り消されるべきであると主張する。

しかしながら、前述のとおり、本件ストライキは、大幅賃上げ、労働強化反対等を目的とするものであるが、その目的はさておくとして、その手段、態様等をみるに、本件ストライキの内容は、下関地方貯金局において、昭和四九年四月一〇日には二六五名が、同五〇年五月七日には二七三名が、同年一一月二七日には二六九名が、同月二八日には二七四名が、同年一二月三日には二七〇名が、それぞれ全一日(八時間)にわたつて欠務するとともに、ストライキによる業務阻害の効果を確保するため、ストライキに反対し、就労の意思をもつて入局しようとする従業員らに対し、集団でストライキ参加を呼び掛け、それに従わないと認めるや非難、罵声を浴びせたもので、本件ストライキの結果業務が停滞し、下関地方貯金局の業務に支障を与えたものである。

そうだとすると、本件ストライキは、公労法一七条一項に禁止する同盟罷業に該当する違法なものといわなければならない。なお、公共企業体等の職員につき争議行為を禁止した公労法一七条一項の規定は、憲法二八条に違反するものではないと解するのが相当である(最高裁昭和五二年五月四日大法廷判決、刑集三一巻三号一八二頁参照)。

これに反する原告らの主張は採用できない。

四公労法一七条一項違反と国公法違反及び個人責任

原告らは、個々の組合員に対し、争議行為に関する責任が追求されてはならず、また、公労法一七条に違反する争議行為が直ちに国公法上違法とはならないと主張するので、以下これについて検討する。

一般に違法ストは、正当な争議行為に与えられる労働法上の免責から除外され、それが団体行動としてなされたものであつても、その行為は、団体行為性と個人行為性の二面を持つものとして評価されるから、違法ストについては、組合が組合として責任を負うのとは別に、違法ストを指導し、またはこれに参加して服務上の規律に違反した個々の組合員も個人行為性の側面から、民事上の責任を負うはもとより懲戒責任を免れないと解される。

これを公労法一七条一項違反である本件ストライキについてみるに、公労法は、職員の争議行為につき民事責任に関する労組法八条の適用を除外している(三条)ほか、一八条において、公労法一七条一項違反の争議行為をした職員は解雇されるものとしている。右一八条による解雇は、国公法による身分保障の例外として、特に被告らに認められたものであり、国公法に規定する懲戒処分としての免職とは別個のいわゆる普通解雇の性質を有するものと解されるが、実質的にみれば、一七条一項違反に対する制裁規定であることは明らかであるから、一八条の解雇規定の存することを理由に、公労法が被告らの懲戒権を否定したものと解することはできない。

そして、国公法九八条一項は、「職員は、その職務を遂行するについて、法令に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。」と規定し、同法九九条は、「職員は、その官職の信用を傷つけ、又は官職全体の不名誉となるような行為をしてはならない。」と規定し、郵政省就業規則一九条は、「職員は、職務の内外を問わず、郵政業務の信用を傷つけ、又は職員全体の不名誉となるような行為をしてはならない。」と規定し、同規則二〇条は、「職員は、同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をしてはならない。また、職員は、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし、又はあおつてはならない。」と規定し、法令遵守義務と職務専念義務を明確にしているところからすれば、公労法一七条一項違反の争議行為は、私企業における平和義務違反のストとは、本質的に異なり、単なる労使間における債務不履行と目することはできず、これに参加した個々の組合員の行為ないし、ストを指導した組合員の行為は国公法、就業規則上の法令遵守義務ないし職務専念義務違反の面から、違法評価の対象となるから、これらの者に対し、懲戒処分を行なうことは、もとより許されるところである(最高裁第三小法廷昭和五三年七月一八日判決参照)。

これを要するに、被告らが、スト参加の組合員ないしストを指導した組合員につき公労法一八条による解雇をなすか、国公法、就業規則により懲戒処分をなすかは、被告らの裁量に委ねられていると解される。

これに反する原告らの主張は採用できない。

五原告福光の責任

1  原告福光の本件ストライキ指導的行為

被告らは、原告福光が本件ストライキを実践指導したとして具体的事実を挙げて主張しているので、以下被告らの主張に添つて、原告福光の言動について検討する。

(一)  昭和四九年四月九日の行動について

同日、支部が、局第二貯金課事務室において約二〇〇名の組合員を集めて、午後零時過ぎから春闘総決起集会を行なつたこと、原告福光が小橋委員長をマイクで紹介したことは、当事者間に争いがない。

右争いない事実と<証拠>を総合すると以下の事実が認められ、<反証排斥略>、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

植野、三井らは、昭和四九年四月九日昼ころ、支部が局の第二貯金課事務室において無許可で集会を開く旨聞知し、植野が原告福光を呼んで、便宜供与は打ち切られており、庁舎の使用は許可されていないので集会を実施しないよう注意したところ、同人はこれを聞き入れず、正午過ぎから約二〇〇名の組合員を前記事務所に集め、無届の春闘総決起集会を行なつた。そこで、植野、三井が同所に赴いたところ、藤田書記長らは植野らに出て行くよう迫り、植野はこれに対し、解散命令を発するなどして反論した。零時二五分ころ原告福光は小橋を案内して現われ、マイクを持つて、「皆さん、小橋地区委員長を紹介します。これから委員長の挨拶があります。」と春闘の最高指導責任者として中国地本から派遣された小橋を紹介した。続いて小橋がマイクを取り春闘の意義並びに翌日のストライキに対する取組等の説明を始めたので植野が、「責任者は誰か。」と尋ねると、原告福光が、「責任者は当然私だ。組合員が職場集会を開くのがなぜ悪い。管理者出て行け。」等大声で言つた。そこで植野は解散命令書を読み上げ、原告福光に右命令書を差し出すと、同人はそれを受け取つてポケツトにしまい、「組合のやつている集会に解散命令を出すのは組合活動に対する介入である。あなたは組合活動を否定するのか。」と反論した。植野は、零時二七分ころ、メガホンにより、「職員の皆さん、本日の集会は認められていないので、直ちに解散しなさい。」と集会参加者全員に解散を呼び掛けたところ、原告福光は植野の前に立つて、「あんたも言うべきことは言つたから直ぐ出てくれ。」、「ここで我々の集会を監視するのか、わしに暴力をふるわせる気か、わしは首を覚悟している。」、「処分はあとですればよい。直ぐ出てくれ。」と激しい口調で抗議し、零時五三分ころまで集会が続けられた。

以上の事実が認められる。

ところで、原告らは、支部執行権は停止されており、右集会は山口地区本部の指示で、小橋中国地本委員長の指導のもとに行なわれたものであり、原告福光が開いたものではない旨主張するが、本件ストライキのような全国規模のストライキを実施するには、各支部ごとに組織的、統一的に行動する必要があるのであり、証人西澤宏が支部執行権停止後も支部役員の力がなければストが打てないと証言しているとおりである。これによれば、執行権停止措置は支部執行部役員に対する懲戒処分責任の追及を免れるための便法としてなされたものと推認され、原告らの主張は採用できない。

(二)  昭和四九年四月一〇日の行動について

同日午後三時三七分ころ、原告福光が、局正門前路上に集まつた支部組合員約二二〇名に対し、決起集会を行なう旨挨拶したことは当事者間に争いがない。

右争いのない事実と<証拠>を総合すれば以下の事実が認められる。

昭和四九年四月一〇日午前七時三七分ころ、原告福光は、局正門近くに止めてある宣伝カーのマイクを使つて、ストライキ参加を拒否し就労意思を有して待機していた山本清己(以下山本という)ら三名の職員がいる局二号館の方に向つて、「局内にいる保護者三名の方に申し上げます。当局もトラブルは起こしたくないと言つています。今からでも遅くないです。組合の皆さんが待つています。直ぐ出て来て下さい。我々の行動に参加して下さい。」と呼び掛け、引き続き小橋他二名がマイクで同趣旨の呼掛けを行なつた。

同日午後三時三七分ころ、原告福光は、局正門前路上に集まつた支部組合員約二二〇名に対し、「本日はここまで集まつていただきお疲れさまでした。ただいまから決起集会をやります。集会が終り次第局側に会見を申し入れて事後整理をします。明日以降抗議団を編成し、当局側に交渉を申し入れます。この辺の取扱いについては、執行部にまかせていただきたい。皆さん、それでよろしいですか。」と呼び掛け、参加者は拍手でこれに答えた。三時三九分ころ、原告福光は局舎の方を向き、集合していた組合員に対し、「今から私の言う言葉を三回続けて唱和して下さい。」と大声で呼び掛け、「裏切り者は即刻帰れ。」との原告福光の音頭に合わせ、「帰れ、帰れ、帰れ。」と、続いて「裏切りに加担した当局は断固反省しろ。」との原告福光の音頭に合わせて、「反省しろ、反省しろ、反省しろ。」と、全員が右手こぶしを高く上げて唱和した。三時四〇分ころ、原告福光は、「本日はご苦労さまでした。これで集会を終ります。」と挨拶し、解散した。

(三)  昭和五〇年五月七日の行動について

<証拠>によれば以下の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和五〇年五月七日午前七時三三分ころ、原告福光は、「スト決行中、全逓下関貯金支部、団結、合理化反対」と大書された枠付ベニヤ板(縦約一八〇センチメートル、横約九〇センチメートル)製の立看板を持つて正門から門外に搬出し、局東側門柱に立てかけた。

同日午前八時二〇分ころ、局正門前路上に原告福光ら約四〇名が集合していたところ、八時二二分ころストライキ不参加者の鮎川恵子(以下「鮎川」という)、吉本太朗(以下「吉本」という)がタクシーで乗りつけ、正門から約一〇〇メートルのところで下車したため、門前で待機中の組合員約一五名が両名のところに走り寄つた。八時二三分ころ山本清己(以下「山本」という)が現われるや、約一五名の組合員が同じように走り寄り、三人の行手をさえぎる形となつた。浅田書記長ら組合員は、三名に対し口々にストライキへの参加を呼び掛け、また、参加しない態度をなじつた。八時二九分ころ、タクシーで乗りつけ、就労するため局内に入ろうとする松崎軍人(以下「松崎」という)に対し、ずつと集団の中にいた原告福光は、大きな声で「裏切り者、裏切り者」と二回浴びせた。同じく就労するため局内に入ろうとした景山公貴(以下「景山」という)を組合員約五名が取り囲んだが、植野、三井がかけより、景山に「時間になつたから入局しなさい。」と指示して入局させた。

(四)  昭和五〇年一一月二六日の行動について

同日午後五時六分ころ、局構内レク広場において支部組合員約一五〇名の集会が行なわれたことは、当事者間に争いがない。

右事実と<証拠>を総合すれば以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和五〇年一一月二六日午後五時六分ころ、局内レク広場で支部組合員約一五〇名が無届集会を行ない、原告福光は、組合員に対し、「今回のストライキは自宅待機方式であり、連絡をはつきりすること。皆と一緒に行動をしてもらいたい。」と述べた。一方、右集会を知つた辻野、三井、田上会計課長は原告福光のところへ赴き、辻野が同人に対し、「集会は許可されていないので直ちに解散して下さい。」と解散命令を発したところ、これに対し原告福光は、「やかましいことを言わんでもすぐ終らーね。」と答えたため、辻野は再び「すぐやめて下さい。」と声高に解散命令を繰り返したところ、原告福光は、「わかつた、わかつた。すぐやめます。」と言つた。しかしながら村田書記長は翌日のストライキ実施方法の説明に入り、また、五時一三分ころ塚本青年部長が音頭をとつて、「スト権奪還一〇〇パーセント貫徹団結ガンバロー」とシュプレヒコールを行ない、五時一三分ころ解散した。

(五)  昭和五〇年一一月二七日の行動について

<証拠>によれば以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和五〇年一一月二七日午前八時二四分ころ、ストライキに参加せず入局就労しようとする松崎、景山、鮎川、浦志芳博(以下「浦志」という)、西運雄(以下「西」という)、宮本義人の六名が一団となつて局正門に向かつていたところ、これを見た原告福光は松崎らに近づき、浦志の左側にぴつたりくつついて並んで歩き、同人に対し、「もう考える余地はないかね。なんとか考え直してくれーね。」と説得した。また、八時二六分ころ、松崎らが局正門に来たとき、原告福光は、「どうしても協力できんの。仕事がどうなつても知らんよ。」と大声で述べた。さらに、そのころ、就労するため入局しようとして正門あたりに来た下田吉孝に対し、古西執行委員(以下「古西」という)は大声で、「一人じや入りきらんじやろう。」と言い、無言で通り過ぎようとする下田に対し、原告福光は、「物くらい言えや。」と言い、さらに大きな声で、「あねいな馬鹿がおるんじやけいな。」と罵声を浴びせた。これに続いて古西は、「そうよ、えーねどうなつたつて。」「どれだけ迷惑するかわからんのじやね。」と大声で言い、二人の組合員が下田の前に立ちはだかつたが、辻野らに保護されて入局した。

(六)  昭和五〇年一一月二八日の行動について

<証拠>によれば以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和五〇年一一月二八日午前八時二七分ころ、松崎、西、浦志の三名が就労するため局正門に近い局長官舎付近を通りかかつたとき、局正門前路上に集合していた約二〇名の組合員を前にして、原告福光は、「皆ストライキをやるのに一日くらい譲歩したらどうかね。おじさん、一日くらい協力しーね。」と大声で呼び掛けたが、三人はこれを無視して入局した。

(七)  昭和五〇年一二月二日の行動について

同日午後五時過ぎ、局構内のレク広場において、支部組合員約二〇〇名の集会を開いたこと、原告福光がストライキ後の職場での取組みを、翌日の決起集会の中で相談する旨述べたことは、当事者間に争いがない。

右争いのない事実と<証拠>を総合すれば以下の事実が認められ、恵川証言中右認定に反する部分は右証拠と対比しにわかに措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和五〇年一二月二日午後五時四分ころ、局構内レク広場において、無許可のまま支部組合員約二〇〇名が集会を行ない、原告福光が集まつた組合員らに話しをし、最後に、「スト後の職場での取組みについては、明日の決起集会の中で、皆相談しましよう。」としめくくつて話しを終つた。五時六分ころ、辻野は原告福光に対し、「集会は許可されていないので直ちに解散しなさい。」と解散命令を発したが、同人は、「すぐやめる。」と答えるに止まつたので、辻野は再び「解散しなさい。」と命じた。村田書記長は、これを無視して、原告福光の側で組合員に対し翌日のストライキについて説明し、塚本青年部長が音頭をとつてシュプレヒコールを行ない、五時一〇分ころ解散した。

2  原告福光の本件ストライキ参加行為

原告福光が本件各ストライキに参加して、右各日にそれぞれ八時間勤務を欠いたことは、当事者間に争いがない。

3 原告福光の行動の評価

公務員は、公共の利益のために勤務するものであり、公務の円滑な運営のためには、その担当する職務の別なく、それぞれの職場においてその職責を果すことが必要であつて、公務員が争議行為に及ぶことは、その地位の特殊性と職務の公共性と相容れないばかりでなく、多かれ少なかれ公務の停廃をもたらし、広く国民全体の共同利益に重大な障害をもたらす虞れがあるから、公労法一七条一項は、「職員及び組合は、公共企業体等に対して同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができない。又職員並びに組合の組合員及び役員は、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。」と規定し、争議行為を禁止した。ところで、争議行為そのものの原動力となる「あおり」、「そそのかし」などの指導的行為は、争議行為の開始ないしその遂行の原因を作るものとして、同盟罷業、怠業、その他単なる労務不提供のような不作為を内容とする争議行為に比し、その反社会性、反規範性が強大であるから、その違反に対しては、単なる争議参加者に比べて重い責任を負わせられてもやむを得ないものと解するのが相当である。なお、公労法一七条一項後段にいう「そそのかし」とは、同法一項前段に定める違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を新たに生じさせるに足りる慫慂行為をすることをいい、「あおり」とは、右の目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えることをいうものと解するのが相当である。

ところで、被告らは、原告福光が本件ストライキにおいて指導的行為をしたと主張するので、以下これにつき判断する。

(一)  昭和四九年四月九日の行動について

原告福光は、植野から無許可の集会を開かないよう注意されたが、これを無視して組合員約二〇〇名の集会を開いたこと、右集会において、マイクで組合員に小橋を紹介したこと、同人が春闘の意義並びに翌日のストライキに対する取組等の説明をしたこと、原告福光は植野に対し、この集会の責任者は自分である旨述べ、植野らに激しい口調で出て行くよう迫つたこと、植野の解散要求に抗議したこと等は前判示のとおりである。

しかして、原告福光の右同一日時、場所における一連の行為は、同人が支部長として植野の警告を無視し、昭和四九年春闘の最高指導責任者として派遣された中国地本の小橋出席のもとに積極的に集会を主宰して継続し、翌日のストライキ突入に向け組合員を激励し、団結を強め、志気を高めるものというべきであるから、あおり、そそのかしの指導行為に該当するといわざるを得ない。原告らが主張するように、たとえ支部の執行権が停止されていたとしてもこれが支部役員の責任を免れるための便法であることは前記のとおりであり、中国地区本部の指示があり、主として小橋中国地本委員長が演説をし、翌日のストにつき説明をしたとしても、右認定を何ら左右するものではない。

(二)  昭和四九年四月一〇日の行動について

原告福光がマイクで、ストライキに不参加の山本らに対し、参加するよう呼び掛け、支部組合員約二二〇名に対しこれから決起集会を行なう旨挨拶したこと、集会の際シュプレヒコールの音頭をとつたこと、集会終了の挨拶をしたこと等は前判示のとおりであるが、右呼掛けは、支部長である原告福光がストライキ不参加者に参加を強く呼び掛け、同時に参加者の志気を高めるものでもあるから、ストライキをそそのかし、あおつたことに該当する。また、右挨拶、シュプレヒコールの音頭をとつたことは、ストライキ参加者の志気を昂揚、鼓舞し、その参加意思を堅固にするものであつたこと、音頭をとつたことは、さらに組合員の団結力を管理者に誇示するものであることが明らかであるから、右行為は、いずれもストライキをあおつたことに該当するものといわざるを得ない。

(三)  昭和五〇年五月七日の行動について

原告福光が立看板を立てかけたこと、局正門前路上に組合員四〇名らと集合したこと、松崎に対し罵声を浴びせたことは、前判示のとおりであるが、右事実だけではストライキをあおり、そそのかしたと認めることはできない。

(四)  昭和五〇年一一月二六日の行動について

原告福光が、約一五〇名の支部組合員に対し挨拶したこと、辻野の解散命令に対し返答したことは前判示のとおりであるが、原告福光の右挨拶は、単にストライキの実施方法を指示するに止まらず、ストライキ参加意思を強固にし、鼓舞するものであるから、ストライキをあおり、そそのかしたことに該当するものといわざるを得ない。しかし、前記返答したことをもつて、ストライキをあおり、そそのかしたと認めることはできない。

(五)  昭和五〇年一一月二七日の行動について

原告福光が、浦志、松崎にストライキに参加するよう説得したこと、下田に対し罵声を浴びせたことは前判示のとおりであるが、このうち右説得は前述したとおりストライキをそそのかしたことに該当するといわざるを得ない。しかし、罵声を浴びせたことは、ストライキをあおり、そそのかしたことには該当しない。

(六)  昭和五〇年一一月二八日の行動について

原告福光が、松崎、西、浦志に対し、ストライキに参加するよう呼び掛けたことは前判示のとおりであるが、右行為は前述のとおりストライキをそそのかしたことに該当するといわざるを得ない。

(七)  昭和五〇年一二月二日の行動について

原告福光が、約二〇〇名の支部組合員に対し話しをし、スト後の取組みについて述べたこと、辻野の解散命令に対し返事をし、その四分後に解散したことは前判示のとおりであるが、集まつた組合員に話しをした内容が明らかでなく、このことをもつて直ちにストライキをあおり、そそのかしたということができず、また、スト後の職場での取組みについては明日相談する旨組合員に伝達したにすぎず、これをもつてストライキをあおり、そそのかしたということはできない。辻野に対し返事した行為も同様にあおり、そそのかしたことには該当しない。

(八)  原告福光が本件各ストライキに参加したことは前判示のとおりであるが、これが公労法一七条一項前段に違反することはいうまでもない。

4 原告福光の責任の総合的評価

前記1ないし3に判示したとおり、原告福光は、ストライキ不参加者に対し参加を呼び掛け、また、説得し、決起集会を行なう旨挨拶し、シュプレヒコールの音頭をとつたのであるから、公労法一七条一項後段に禁止する同盟罷業その他業務の正常な運営を阻害する行為をあおりそそのかして争議行為そのものの原動力となる指導的行為を行なつた者として問責されるを免れ得ないものというべきである。

而して本件ストライキをあおり、そそのかして争議行為そのものの原動力となる指導的行為を行なつた原告福光は、国の経営する郵政事業に勤務する職員として、その官職の信用を傷つけ、または官職全体の不名誉となるような行為をしたものというべく、従つて原告福光は、右各行為により国公法九八条一項、九九条に違反し、同法八二条一号、三号に該当するものといわなければならない。

この点につき、原告福光は、本件ストライキは直接的には全逓中央執行委員長の指令に基づいて全国統一闘争として行なわれたものであり、実際に中央委員会のスト指令により支部の執行権が停止され、具体的にストライキを指導したのは中国地本から派遣された小橋らであつて、原告福光は上部機関の指示に従つたのみであり、何ら指導的行為を行ない得る立場になかつたと主張する。

しかしながら、支部執行権停止が支部長の責任を免れさせるための便法であることは前述のとおりである。また、本件のストライキは、公労法一七条一項前段の禁止する同盟罷業その他業務の正常な運営を阻害する行為であることは前判示のとおりであるから、中央執行委員長の指令が違法な行為の指令であつたことは明白であるというべく、従つて全逓の組合員としては法的にかかる指令に従う義務はなく、またこれに従うべきでもないから、本件ストライキが全国統一闘争として全逓組合の決議に基づき組合の意思として行なわれたものであるとしても、これに参加し、これを積極的に推進し、指導し、もしくは拠点指定を受けた局所において、具体的な実力行使を指示し、組合員を鼓舞した拠点局の支部長が違法行為者としての個人責任を免れるものではないというべく、ただ上部機関の指令に基づいたことにより、その違法行為の責任の程度に評価の軽重の差が生ずるにすぎない。本件ストライキの実施にあたり、小橋が中国地本から闘争の最高指導責任者として支部に派遣されたことは前認定のとおりであり、前掲恵川証言、小橋証言によれば、本件ストライキ当時支部の執行権は停止されているから、原告福光としては組合としての全逓の統制力に拘束され、派遣された闘争最高指導責任者の指示が適法なものである限り、これに従わなければならなかつたものと考えられることはいうまでもないが、本件ストライキ突入の指令は、前述のとおり本来公労法によつて禁止されている違法行為の実行を命ずるものであるから、それがいかに全逓の統一的意思として中央委員会、中国地方戦術委員会の決議に基づいて発せられたものであつたとしても、右決議自体が違法なものである以上、右指令も違法であつて、全逓組合員に対して何らの法的拘束力を有しないばかりか、全逓の組合員としてはこれに服従すべきでないものであり、従つて中央委員会から派遣された闘争指導者の指示が右指令の実行を命ずるものである限り原告福光としては、これに服従すべきではなく、寧ろかかる違法な行為の実現を阻止すべき義務があつたといわなければならない。しかるに原告福光は、これに反して、前判示のとおり、積極的に組合員をあおり、そそのかしたものであるから、責任の軽重は別としてその責任を免れるわけにはいかないものというべきである。

また、原告福光の本件各ストライキ参加行為は公労法一七条一項前段に違反するもので、国の経営する郵政事業に勤務する職員として、その官職の信用を傷つけ、または官職全体の不名誉となるような行為をし、勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用い、政府がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならないという義務に違反したものというべきであるから、原告福光の右行為は、国公法九八条一項、九九条、一〇一条一項前段に違反し、同法八二条一ないし三号に該当するものといわなければならない。

5 懲戒権濫用について

原告福光は、本件停職処分は懲戒権の濫用として無効であると主張するので、以下判断する。

ところで、国家公務員に懲戒事由がある場合において懲戒権者が裁量権の行使としてなした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠き裁量権を濫用したと認められるものでない限り、違法とならないものと解すべきである(最高三小昭和五二年一二月二〇日判決、民集三一巻七号一一〇一頁参照)。

右の見地に立つて本件停職処分が社会観念上著しく妥当を欠くものと認められるかどうかについて検討するに、前記認定したとおり、原告福光は、本件ストライキにより局の業務が著しく遅滞し、国民が迷惑を蒙ることを十分予測でき、しかも、被告局長からストライキ実施を中止するよう再三警告、勧告を受けたにもかかわらず、支部長として、さきに認定したストライキの指導的行為をとり、さらに、自から本件各ストライキに率先参加したもので、原告福光の右非行行為の性質、態様、情状等を総合すれば、同原告主張のように、仮に従前支部長が停職処分を受けたことがなく、また、他の組合員が別紙のような処分を受けたとしても、本件停職処分が社会観念上著しく妥当を欠くものとまではいえず、他にこれを認めるに足りる事情も認められない。そうだとすると、本件停職処分が懲戒権者である被告大臣に任された裁量権の範囲を超え、同被告がこれを濫用してなした違法なものとすることはできない。

よつて、原告福光の懲戒権濫用の主張は失当である。

六原告中西の責任

1  原告中西の指導的行為

原告中西が、昭和四九年四月当時支部青年部長であつたことは、当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、昭和四九年四月一〇日午前七時三〇分ころ、原告福光、同中西を含む組合員約二六名は、局正門付近に集まり、就労意思を有して局二号館に待機していた山本ら三名のストライキ不参加者に対し、前記のとおり原告福光らがストライキ参加の呼び掛け、説得を行なつた後、午前七時五〇分ころ、原告中西は前記集団の約一メートル前面に立ち、右集団に二列横隊に並ぶよう指示し、この指示に従い二列横隊になつてスクラムを組んだ組合員らに対し、「只今から全逓歌を歌うので、皆一緒に歌つて下さい。」と指示し、原告中西が全逓歌の一小節を歌つた後、全員に全逓歌を三番まで唱和させた。午前七時五六分ころ、組合員らは局舎の方に向きを変え、原告中西は、「私の音頭に合わせて三唱して下さい。」と指導し、「シュプレヒコール用意。」と号令し、これに従つて全員が前記ストライキ不参加者三名のいる局二号館次長室の方を見上げたところで、原告中西は、右手こぶしを握つて高く掲げ、「三人を帰せ。」と大声で音頭をとり、これに続いて組合員らが「帰せ、帰せ、帰せ。」と唱和し、さらに原告中西は、「三人よ、出て来い。」と音頭をとり、組合員らは、「出て来い、出て来い、出て来い。」と唱和し、さらに原告中西は、「裏切り者は許すな。」と音頭をとり、組合員らは、「許すな、許すな、許すな。」と唱和した、午前七時五八分ころ、原告中西は組合員らに向きを変えて局舎を背にして立つよう指示し、続いて皆で「ガンバロー」の歌を唱和するよう指示したうえ、自から一小節を歌い、これに合わせて全員が唱和した、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  原告中西の本件ストライキ参加行為

原告中西が本件各ストライキに参加して、右各日にそれぞれ八時間の勤務を欠いたことは、当事者間に争いがない。

3  原告中西の行動の評価

原告中西が、組合員らを二列横隊に並ばせ、全逓歌を歌うよう指示し、シュプレヒコールの音頭をとつたことは、前判示のとおりである。このうち、シュプレヒコールの音頭をとつた行為は、ストライキ不参加者に対し、ストライキ参加を強く呼び掛けるもので、さらには、ストライキに参加した組合員らの志気を鼓舞するものであるから、本件ストライキをあおり、そそのかしたことに該当するものといわなければならない。しかしながら、全逓歌を歌うよう指示したことをもつて、ストライキをあおり、そそのかしたとすることはできない。

また、原告中西が本件各ストライキに参加したことは前判示のとおりであるが、これが公労法一七条一項前段に違反することはいうまでもない。

4 原告中西の責任の総合的評価

前記1ないし3に判示したとおり、原告中西がシュプレヒコールの音頭をとつたことは明らかであるから、原告中西は、公労法一七条一項後段に禁止する同盟罷業その他業務の正常な運営を阻害する行為をあおり、そそのかして争議行為そのものの原動力となる指導的行為を行なつた者として問責されるを免れ得ないものというべきであり、前述のとおり、国公法九八条一項、九九条に違反し、同法八二条、一、三号に該当するものといわなければならない。

また、原告中西の本件各ストライキ参加行為は公労法一七条一項前段に違反するもので、前述したとおり、国公法九八条一項、九九条、一〇一条一項前段に違反し、同法八二条一ないし三号に該当するものといわなければならない。

5 懲戒権濫用について

原告中西は、本件減給処分は懲戒権の濫用として無効であると主張するので、右処分が社会観念上著しく妥当を欠くものと認められるかどうかについて検討するに、原告中西は前記認定のとおり青年部長としてストライキをあおり、そそのかして指導的行為をとり、さらに自から本件各ストライキに率先参加したもので、原告中西の右非行行為の性質、態様、情状等を総合すれば、仮に他の組合員が別紙のような処分を受けたとしても、本件減給処分が社会観念上著しく妥当を欠くものとまではいえず、他にこれを認めるに足りる事情もない。そうだとすると、本件減給処分が懲戒権者である被告局長に任された裁量権の範囲を超え、同被告がこれを濫用してなした違法なものとすることはできない。

よつて、原告中西の懲戒権濫用の主張は失当である。

七結論

以上説示したとおり、本件懲戒処分には原告ら主張のような違法はなく、適法というべきであつて、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(大西浅雄 岩谷憲一 木村元昭)

表1〜表4<省略>

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